「米原万里」という名前を活字ででみたとき
なぜか初老の男性の顔をいつも思い浮かべていた。
「万里」なのになぜか、しらないけど。
ときどき家の中に転がっていた雑誌に連載されていた
「私の読書日記」をたまたまはじめて読んだときの印象か。
だいぶと前にその「米原万里」がガンで亡くなった記事を読んで、
「あ、女性だったのか」と。
『打ちのめされるようなすごい本』の中には
「週刊文春」に連載されていた「私の読書日記」と、
1995年から2005年んまでの全書評がまとめられている。
そのタイトルよりも、裏表紙に書かれている
「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」
という言葉につい手にとった。
通勤のおともにするのは、短編かエッセイが多い。
きりよくページを閉じられるので、
つい、降りる駅を過ぎたことに気がつかなかったり、
ついホームのベンチで座りこんで終バスをのがしたり、
がなくてよい。
ちょっと、文庫本としては太めで重いけど、
通勤のおともにはちょうどいい、と思って毎日鞄に入れている。
でも、ちょうど、いいことはなかった。
読みたい本がどんどん出てくるので、いそがしい。
定期を切らしてるのに途中下車しては図書館で検索しては借り、
なければ隣のビルの書店で探し・・・。
数年前に刊行された本なので、借りやすいが買いにくい。
読みたい本、はとりあえずおりておいて読書日記が面白くて
結局、ホームのベンチに座りこむことに。
「私の読書日記」の後半は、というより亡くなる直前は、闘病記でもある。
免疫療法や、活性化自己リンパ球療法、温熱療法など、
癌治療本について、そしてその実践。
最初の癌が見つかった2003年。
さまざまな癌治療本を読みあさりつぶやいた
「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」
一年四カ月後に再発。
「癌治療本を我が身を持って検証」しながら期待と疑問と後悔と落胆と。
「効く人もいるのだろうが、私には逆効果だった」でしめくくる最後の連載は2006年5月18日。
亡くなったのは5月25日だったそうだ。
第一部「私の読書日記」の後半を勢いで読んでしまった。
第二部の「書評」は家でゆっくりと読もう。