蛙が大の字になって気持ちよさそうに泳いでるなあ~
と思ってたら、その周りを蛇がとぐろを巻いていた。
その蛇の顔は・・・
蛙は蛇に睨まれたら動けないって話があるけど、
これはまたキツイなあ。
でもこの蛙ってば気持ち良さそうな顔にみえる。
「蛙蛇文盤(あだもんばん)」
中国 春秋前期の青銅器。
手を清める際に水を受けるための器らしいけど、
水の底にうつるその文様を見ながら手を入れた人は何を想ってたんかな。
三連休、バイトの合間の秋らしい休日を京都で過ごした。
大学時代に友人たちと「泉屋博古館」へ。
住友家が集めた美術品を保存、展示する小さくて広い美術館。
企画展中国の文人たちの文房具に私は静かに狂喜乱舞。
でも常設展示されている中国青銅器のコレクションがなんとも味わい深かった。
国内でもこれだけの青銅器、鏡を集めて展示しているのは珍しいらしい。
祭りや儀式用の鏡と剣っていうようなイメージが強かったけど、
実用的な楽器、食器、調理器があって面白かった。
約千年の間にその姿や用途、文様、刻まれた文字が変化していく。
招待してくれた博古館に勤める友人がいろんな話をしてくれる。
文様の意味を知るとさらに興味深い。
魔除の意味を持つ文様はちょっと宮崎駿、ジブリの世界。
なんでこんなに羊、羊、羊?
象形文字だか漢字だか・・絵と字のはざかい。
一所懸命に中国の真似してつくった日本の拙い鏡。
昔は輝いていたんだろうか、でも今の青くて緑の方がいい。
哲学の道、南禅寺の近く。秋らしい気持ちの良い午後。
湯豆腐をたらふく食べて腹ごなし。
大学時代の友人たちとこんな風に歩いているのが不思議だった。
博古館に勤める子とは先日の大学同窓会で10年ぶりに会った。
彼女とは「西洋史ゼミ」で一緒だった。
当時は日本史と東洋史しかなかった大学の史学科での「西洋史ゼミ」。
授業がすっかり終わった夜に開かれたお茶会のようなゼミだった。
そのゼミを好意で開いてくれていた教授を囲んでいたのは10人ほど。
そのゼミの帰り道、教授も一緒に女坂を下った。
七条、坂の下、真正面に見える京都タワーは本当に「お灯明」だった。
それはそんなに古い記憶ではないのに・・・。
彼女が10年前の「西洋史ゼミ」の同窓会の写真と、
こないだの同窓会の写真と一緒に送ってくれた「泉屋博古館」の
招待はがきをきっかけに、私たちは京都で集まった。
その日、名古屋から来た友人はもうすぐニュージーランドへ。
旅ではなく暮らすために。家族で新しい生活をスタートさせる。
とても幸せそうなので嬉しい「行ってらっしゃい」だ。
南禅寺水路閣からインクラインをみんなで歩きながら、
昔の話やら今の話やらこれからの話やら。
うっかり草むらに入った私のスカートに貼りついた
「くっつき虫」を剥がしてくれるみんなの顔や頭をみながら、
なんだか奇跡的な不思議な時間だな と思った。
京都駅で「またね」と、一人づつ見送る。
明日も会う彼女に手を振り、
きっと近いうちにまた会える彼女に手を振り、
次の約束は今は出来ない彼女に手を振る。
京都から一人で阪急電車で帰ったのは
そういえば本当に久しぶりのことだった。