友だちからメールがきた。
「おっちゃんの本屋さんが25日で閉店する」と。
え、嘘。そんな。
しかも25日て今日やん。ほんまに?
西北でパソコンとともに籠もっていたけど、パタパタと片付ける。
メールをくれた彼女とは会えば必ずといっていいほど本屋さんに寄る。
西北やアバンサのジュンク堂、ブックファーストや紀伊国屋に寄ったりもする。
大きな本屋さんも好きだけど、小さな小さな「おっちゃんの本屋さん」も好きだった。
「おっちゃんの本屋さん」と二人が呼ぶ店は私と彼女が住む駅にある。
西北構内のブックファーストを除いて、私が知っている店では
売り場面積が一番小さな本屋さん。
でも通路が広くて無理に本を詰め込んでなくてゆっくり本が選べる。
しかも狭いながらに、狭いからこそか、妙にツボを心得ていて
なんとも無表情で無口で、でも無愛想ではないおっちゃんがいて・・・。
小さな店だからこそ本の揃え方や並べ方にセンスというか味が出るというか。
小学生も高校生も声優おたくもサラリーマンも腐女子も主婦もくる店。
そういう意味では幕の内弁当的なつまみやすさももちろんあったけど、
ときどき「お~そうきたか」と楽しませてくれる棚もあったり。
雑誌はとにかく、ハードカバーと文庫、漫画の揃え方は私のツボにさくっときた。
狭い店内に大胆に場所をとっていたハードカバーの面出しの棚には
時々「ほっほっ~」と関心させられ、ついつい衝動買いさせられた。
まあ何より、突然「お耽美コーナー」が出来た時はびっくりしたけど。
閉店する日の閉店時間30分前。
「おっちゃんの本屋さん」には私と若い兄ちゃんしかいなかった。
電車が着くと一人、二人と駅から流れてきたけれど。
小さな貼り紙に書かれた閉店の挨拶に気がついてない人もいるんじゃないか。
私も言われてなければ全く気がつかなったと思う。
本屋さんてのは、叩き売りの閉店セールするわけにもいかないし、
こうやって最後まで静かに本が手にとられていくのを待っているもんなんだな。
いつものようにアニメ雑誌を立ち読みしている若い兄ちゃんがいて、
いつもとかわらずおっちゃんが静かにレジカウンターの中で突っ立っていた。
「岩波書店」がなくなり「逆瀬書店」がなくなり「あかね書房」がなくなり
私が通った小さい本屋さんはみんななくなってしまった。
このおっちゃんの店までなくなるのはほんとに悲しい。
とてもとてもさびしい。
最後に好きな作家から一冊づつ選んでおっちゃんのレジに持っていった。
城山 三郎著 「打たれ強く生きる」 新潮文庫
恩田 陸著 「まひるの月を追いかけて」 文春文庫
北村 薫著 「1950年のバックトス」 新潮社
それから
「“手”をめぐる四百字―文字は人なり、手は人生なり―」 文化出版局
最後に選んだこの本は、作家さんほか五十人の四百文字の肉筆原稿を集めたもの。
うわあ。一目ぼれ。ぱらぱらとめくるだけでもとてもワクワクした。
季刊「銀花」に十二年間のあいだに寄稿されたものから編集されており、
城山三郎氏や時実新子さん、岸田今日子さんなど亡くなられてしまった方の原稿も。
その字を見ているとその生きておられた瞬間が生々しく感じられる。
同じ「手」というテーマでたった一枚の400字詰用紙に書かれた原稿。
それぞれの個性ある肉筆だけでなく使われている原稿用紙も興味深い。
おっちゃんの店でまたいい本と出会えた。
「貯めてたポイントどうなるの?」とはよう聞けず、
「さびしくなります、ありがとう」なんてこともよう言わず、
いつものように無口なおっちゃんに「ども」と頭を下げて店を出た。
またおっちゃんにはどっかで本屋さんしていて欲しいなあ。