終戦の日。
夜のニュースでは各地での戦没者慰霊などの模様を伝えていた。
その中に今年も舞鶴の映像があった。
父方の祖母と出掛けた記憶は一度だけ。
泳がない海に行ったのははじめただった。
それが舞鶴だったことはあとで知ったと思う。
小学生の頃としか覚えていない。
ただ風が強い埠頭に長い時間立っていた。
何しに来たのかさえ分からなかったけど、
長い時間、ぼんやりした暗い色の海を見ていた。
「昔はここでたくさんの人が待っていたんだ」
「大切な人を毎日毎日何年も待っていたんだ」
そんなことを独り言のようにくり返しながら
祖母は私の手を握ってずっと海の風を受けて立っていた。
記念碑とかはあったかもしれない。
まだ「引き揚げ記念館」はなかったと思う。
「岸壁の母」のドラマや唄は少し知っていた。
そこが岸壁の母や妻が立った場所であることは
わかっていたような気もするけれど、
陰気な海から早く家に帰りたくてしょうがなかった。
祖母が父の本当の母でないことを知ったのはずっとあとのこと。
父は母を病気で亡くし、その母の妹は戦争で夫を亡くしたという。
そして姉にかわって父たちを育てた。
私は戦争を知らない世代だけれど、
私の同級生の半分以上は戦前・戦中生まれの両親から生まれた。
戦争で肉親を亡くしたり、戦争中の記憶を持つ両親から生まれた最後の世代、
とも言えるのかもしれない。