保育所の友だちがバレエを習っていた。
「あん、ど、とわ」とその子が教えてくれた。
「バレエを習いたい」と親にねだった。
なぜか新しくできたスイミングスクールに入れられた。
ときどき保育所で「バレエごっこ」をするのが楽しみだった。
ずっと半ズボンで過ごしていたから、
スモッグの裾をつまんでくるくるまわるだけだったけど。
ブランコでも気分が悪くなるほど乗り物酔いもひどかったくせに
ぐるぐる回転するのは大好きだった。
目がまわって「おえっ」てなりながら笑い転げていた。
小学校の時にオリンピックを観て
「コマネチみたいになりたい」と思った。
高学年のミニクラブで「体操クラブ」に入り、
とび箱や鉄棒よりも、マットの上で回ることが好きだった。
側転や連続ブリッジ、ハンドスプリングとマットを飛び跳ねた。
バク天は危ないから、と教えてもらえなかった。
廊下でハンドスプリングして頭打っては先生に怒られ、
砂場でバク天もどきの練習をしては先生に怒られ、
放課後にマットを出して先生の補助付きでやらせてもらった。
埃くさいマットの上で「回るのってなんでか楽しいなあ」と友だちと笑い
「早く中学生になって体操部入ってバク転したい」と意気込んでいた。
中学生になって、大人の事情と子供の事情が重なり
仮入部で「バレーボール部」に入ってしまった。
本入部で「体操部」に入るはずが、なぜかそのままバレー部に。
チビだったし、アタックはヘロヘロだったけどレシーブは好きだった。
特にスライディングレシーブや回転レシーブ。
「お前は上に飛ぶより、横や前に飛ぶのが得意やな」と顧問から苦笑された。
マットのないところで激しく腰やひざを打って青あざだらけになりつつ、
バク転への未練がだんだん弱まり、バレーボールが好きになっていった。
高校もバレーボールを続け、大学でも地域のチームに参加していたけど、
高校でも大学でも「バク転」への未練からか「体操部」に見学だけは行った。
「バク転」熱よりもたちが悪かったのが「バレエ熱」だった。
大人になってからも「バレエ熱」を発熱しては抑え、再燃しては鎮火させていた。
バレー漫画もたいてい読んだけれど、バレエ漫画はほとんど所有し、何度も読んだ。
バレエのDVDやバレエマガジンやレッスン本も少しずつ増えていった。
少し自由な時間を持てるようになってからは、
教室を探したり、レッスンの見学をしたり。
それでもバレエを始めることはできなかった。
年をとればとるほど敷居が高くなり、
大人バレエが流行ってからもやっぱり躊躇した。
それが去年、新しい人の縁が出来て、
なぜだかバレエをはじめるきっかけをスルっともらい、
習いはじめて気がつけば半年を過ぎた。
まだ、「バレエ」でなく「バレエもどき」というより
どうしてだか「ラジオ体操もどき」や「相撲もどき」になる。
だんだんむずかしくなっていって体も頭もついていかないけれど、
それでもすごく楽しい。
鏡にうつる自分の姿が悲しいけれど、
バレエが習えてすごく嬉しい。
そしてやっぱり回るのがすごく楽しい。
ぜんぜんまだうまく回れないけれど。
はじめたばかりの頃、バレエの先生にうっかり「32回転したい」と言ってしまった。
「白鳥の湖」の演目で黒鳥が踊る32回のグラン・フェッテ。
これを観たくて二日続けて劇場に足を運んだこともある。
よく「32回転したい」なんと言ったもんだと自分でも呆れる。
今は「したい」でなくて「観たい」に訂正した。
それでもやっぱり回りたい。
まずはピケやピルエットを目標に・・・。
なんで回るのが好きなのかはよくわからないけれど、
「回転」することにとても憧れる。